煙を吸い込み、吐く。宙に解けていくそれは何にも似ていない。雲にも空にも、土方自身にも。ただ、その煙に迷惑そうに顔を歪める相手は目の前にいた。沖田の喧嘩仲間、『万事屋のチャイナ娘』こと神楽だ。
沖田はなにかとこの娘と縁があるようだが、土方自身はそうでもない。銀時のせいで厄介事に巻き込まれた際に共に動くことがあるくらいで、個人的な付き合いは皆無だった。
それが今日になって突然屯所に押しかけ、対応に出た山崎を脅し棲家を聞き出すまでのことをして非番の土方に会いに来たのだ。唖然とする土方に構わず、甘いものを奢れと言い捨ててみせた神楽にこうして付き合ってしまったのは銀時の手前なのだが、死んでも言う気はない。
神楽が選んだのは、いつか煉獄関についての話をしたファミレス。にぎわった店内の奥まった席に向かい合わせになって数分後、注文以外に口を開かない神楽に土方はそろそろ辟易し始めたが、だからといって歩み寄る気も毛頭なく懐から出した煙草に火をつけたわけ、だが。
「……将軍の妹君ってなにネ?」
しかめた顔のまま、ようやく開いた神楽の口から漏れたのは、あまりに意外な一言だった。
「は?」
「そよちゃんネ」
神楽は、先ほど運ばれてきた苺パフェを前に銀のスプーンを握った、ある意味での臨戦態勢にある。その様子と表情との凄まじいギャップに今更薄ら寒さを感じたが、それを無視して土方は煙草を指に挟んだまま素早く頭を回転させた。
神楽は『そよちゃん』が『将軍様の妹君』とは知らなかったはず。漠然と、どこかの偉い人の子で姫と呼ばれている、と認識していたはずだが……先日うっかり巻き込まれた『将軍様のお遊び』の一件で真実を知ってしまった、のか?
いや、その辺りはどうでもいい。質問は至極、単純だ。『そよちゃんはそよ姫なのか』と聞かれているのだから答えはひとつしかない。
「わからねぇのか? そのままだ」
が、その答えは神楽のなにかを刺激してしまったらしく、ミシと不吉な音がその手元から聞こえた。握りしめたスプーンの悲鳴だが、折ってしまわなかったところを見ると、まだ許容範囲ギリギリで留まったらしい。
せっかくの非番をこうして潰されている身にもなれ。そんな思いをこめてもう一度吐き出した煙に、神楽は、今度は顔を歪めもせず土方を睨みすえる。
「オイ多串」
「多串じゃねぇ」
「そよちゃんは幸せじゃないアルか?」
またもや単純な質問だ。単純すぎて吐き気がする。夜兎族は単純なのか、それとも神楽の性格がこうなのか。だが今度の回答は、難しい。土方は空いた手でグシャグシャと前髪をかき混ぜ、煙ではなく重い息を吐いた。
大体どうしてこんな質問をしてくるのかがわからない。しかし返事をしないままで開放してくれそうにもない、だから土方は答える。
「お前の幸せとは違うんだよ、あの方の幸せの定義はな」
ドスッとパフェにスプーンが突き刺さった。生クリームやアイスに砂糖細工、すぐにでも溶けて消えそうなもので構成された虚飾に満ちた食べ物は、その一撃に一部がはがれ落ちボタリとテーブルに落下する。しかしお互い、それをもったいないと指摘する気はまったく起きなかった。
目を離したら負けだ。
そんな、命がけの真剣勝負のように張り詰めた空気ゆえに。
「銀ちゃんが言ってたヨ。あの城にいるのは、かわいそうなお侍だって。だったら、そよちゃんも、かわいそうアルか?」
「だからよ……」
腹立たしいまでに単純だ。本当に、どこまでも、土方を追い詰めるように。そんな神楽の言い分に土方はゆっくりと目を細めた。それから、まだ火をつけて間もない煙草を傍らの灰皿に押し付ける。……うっかり、付き合いで頼んだ飲み物のカップに突っ込みそうになったのは、幸いにも神楽に感づかれなかった。
そのまま数秒、この状態を見た人間は何事かと疑うだろう、そんな睨み合いを続ける。ふたりを知っている人間なら攻撃タイミングの読み合い、知らない人間ならしつけ中の親子とでも思うのだろうか。
やがて先に動いたのは―そう、冷静に考えたのならば神楽は根負けしたのではなく仕掛けたのだと、土方は後悔した―神楽だった。怒りを無理やりに抑えたのか土方を軽蔑したのか、曰くしがたい半端な表情になり、そして言った。
「お前が、そよちゃんをつれてったアル」
―でも、最初から一日だけって決めていた。私がいなくなったらいろんな人に迷惑がかかるもの…。
「かわいそうな場所へ、お前が、そよちゃんを」
―その通りですよ。さァ、『帰り』ましょう。
反論はない。肯定するしかない。
それは本当のことなのだから。
「……言いがかりもいいとこだ。俺の仕事なんだよ、それが」
だがそうだこれは俺の義務だ、と土方は懐に手を突っ込みながら考える。そこには愛煙している煙草の箱があって、指先に触れる当たり前すぎる感触に心が少し落ち着いた。……落ち着いた? それなら俺は動揺していた? なんに? その自問自答に片肺が、ギュルリと引き絞られるような妙な感覚を訴える。まるで目覚めの一服のようで……それが服毒の代わりに得られる快感だと、土方は知っている。
「仕事?」
「そうだ。……俺達、真選組の仕事だ」
「ふうん」
ひょいとスプーンが動き、不恰好に崩れかかっていた生クリームが掬い取られた。苺ソースなのだろう、映える赤をまとったスプーンいっぱいの白いクリームを、神楽が一口で頬張る。その動作の間も、神楽は土方から目を離さなかった。
「なんだその無駄なアピールは。別に欲しくねぇよ、そんな甘ったりぃもん」
「多串は自意識過剰ヨ。いい年こいて思春期か? ちゃんと抜いてるアルか?」
「さらっとなに言ってんだオイコラ」
「私は普通に食べてるだけネ」
「ああ、そうかよ。あいつに請求するからな、そのパフェ代」
その言葉に文句は来ない。どころか以降はまったく無言のままふたりは互いの注文を消化しきり、長居は無用とばかりに席を立った。
「責任を取れとでも言いたいのかよ……」
店を出て、礼のひとつも言わずに踵を返し遠くなっていく神楽の背中に土方はつぶやく。その道を照らし出す太陽はすでに天辺を越え、土方の貴重な休日は半分が過ぎ去っていた。