その日もまた、第8航空団第15飛行隊―ダニエル“ウィンドホバー”ポリーニが隊長を務める飛行隊が翼を休めている格納庫には一組の男女の声が響いていた。
「いつの間に描いたのよ、もう!」
「そう怒るなってよ、お嬢さん。俺自慢の機体に俺の女神様が乗ってるんだぜ? そりゃあもう、見上げる連中全員に自慢してやりたいって思うのは当然で……だわぁ! 待った待った拳はなしだろハニー!」
「あーら? じゃあ、このレンチのようなものがいいのね、わかったわ」
「……おいおい、刃傷沙汰はやめてくれよラナー?」
無骨な男と玲瓏な美女、空軍戦闘機パイロットの妻とその機体の整備主任である夫。そんな、ある意味エメリア空軍の名物夫婦。ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜつつ、ウィンドホバーは睨み合う2人の間に入りこむ。夫婦喧嘩はなんとやらだが、彼以外に止める人間がいないのも事実だ。ちなみにそれは、面白がって止めない人間が大半だからタチが悪い。
現在は彼の麾下となっているラナーは、新人だった当初からそれはもうあちこちで話題になっていたものだった。女優にしてもおかしくない美女、しかもこれがまた強気で難攻不落な高嶺の花。軽々しく誘おうものなら倍返しの返答をされる彼女にもっとも果敢かつ無謀に挑み続けた整備士の男は、なんと数年を掛けて一目惚れの相手を口説き落とした。ひょっとしてラナーが根負けしたのではないかなんて言われているが、まあ、それはないだろうなぁ、とウィンドホバーは思っている。だって、
「おーい、たいちょーう。あんたの部下が素直じゃねーよォ、なんとかしてくれよ~」
「私は素直よ、だから嫌だと言っているの。早く消してね?」
それこそ映画のワンシーンの如き笑顔に言い表しがたい重圧、もしくはすべてを凍らせんばかりの秘めたる冷気を感じ取ったのは、それを目の前にしている者同士平等、つまりウィンドホバーだけではないはずだ。だというのに、ちぇーなんて子どものように唇をとがらせている男の瞳は、そう、まさにイタズラに成功した子供のような輝きを宿しているのだから。きっとこれだって、彼にしてみれば最愛の妻との微笑ましいじゃれあいなのだろう。まったく、いい大人だろうに困ったものだ。
第一、このじゃれあいの発端だってアレだしなぁ、とウィンドホバーが見上げたのは、彼らの隊が使用しているF-16Cの一機だ。その身に鮮やかに描かれているのはいつも通りのウィンドホバー隊隊章、だけではない。なんというか、象徴的になっているとはいえ、やや過激とも言える挑発的なポーズを取った女性をあしらったノーズアート……そのモデルが誰であるのかは一目瞭然だし、これでは彼女が怒るのも無理はない。ないけれど、つまりそんなことが出来てしまう仲ってことなんだろうしなぁ、とウィンドホバーの苦笑は留まることがない。
「あーあ、いいッスよねぇ。なんだかんだで仲いいッスもんね」
と、いつのまにか彼の隣に立ったもうひとりの隊員―セイカーが感嘆とも取れるようなため息をついて、いいなぁ俺も彼女欲しいなぁ結婚したいなぁ、なんてブツブツ続けている。それに、またもやなにか言い合いを始めた2人を見つつウィンドホバーは首を振って、
「お前はやめといたほうがいいな。地上に待たせる人がいるなんてのは、大抵の物語じゃ真っ先に死ぬもんだろう?」
「とか言い訳して、隊長って結婚しないんですか?」
にやっとしたセイカーのしてやったりな一撃に、うっと思わず言葉に詰まった。ウィンドホバーはそんなポーズを取ってみせる。それがセイカーに対する、彼なりの隊長としての姿勢だからだ。
別に言い訳にしているつもりなんてない。ただ自分の場合、なにか『特別』が出来てしまったらきっと飛べない。自分が墜ちることで不幸にしてしまう人がいるなんて、そんな重責を背負い込めやしない。そんな、まったく情けない男なんだ。そんなことをセイカーに聞かせたところでなんにもならないだろう?
心の中でそう誰かに言い訳し、ウィンドホバーはまた賑やかな格納庫で笑う。彼の分も強さを担う仲間と彼の分も真率を抱く仲間を前にして、だからこそ。
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