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ゲーム寄りのよろず二次創作ブログ
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ACE COMBAT 6 SS
EDムービー数日前のガルーダ隊
連作最終話、捏造を多分に含む




 エメリア・エストバキア戦争の終結より数ヶ月。解放に沸き自由を謳う時期はとうに過ぎ、エメリア共和国全体の、そして首都グレースメリアの復興はゆっくりとしかし着実に進んでいた。
 戦争終結を決定づけたシャンデリアの戦場において、エストバキアを支配する『将軍たち』の一角を占めるエメリア侵攻推進の筆頭でもあった遠征軍総司令グスタフ・ドヴロニクが死亡。また直後に自国内で反政府クーデターが勃発したことで、エストバキア軍はこれ以上の戦闘の続行を不可能としエメリアとのあいだに停戦協定が結ばれた。無論ひとつの協定だけで簡単に片付く事柄ではないのだが、ともかく一応の終止符は打たれたのだ。
 となれば一般市民が次にすべきことは、元の平穏で退屈な日々を取り戻す、それだけだが、いくら高い志と目標があってもそのために必要なことやすべきことは山積みになっており歩むべき過程は困難を極める。だが、彼らはそれを苦としない。なにしろ威圧されるエメリア国民が七ヶ月間待ち望んだ天使たちが、現実のものとして彼らに苦難の克服を、暗黒の時代からの夜明けを見せてくれたばかりなのだから。その贈り物を受け取り心意気を継いだ者たちとして、彼らは取り戻された日々を当たり前に過ごしてゆかねばならないのだ。
 そんな、どこか熱に浮かされたような活気に満ちる街を、ただひとつ戦前と変わらぬ笑顔が見守っている。駅前広場に置かれた戦車に腰掛けるは『金色の王様』。穏やかな笑顔を振りまくその姿は最近になってようやくここの景色に馴染み始めているものの、まだ多くの市民がついつい足を止めて物珍しげに―だって王様は玉座に身を収めているのが常なのだから―見上げてゆくこともしょっちゅうだ。とある日、ちょうど昼過ぎの喧噪溢れる広場を横切った一組の男女も例に漏れず、先ほどまでまぶしげに王様を見上げていた。
 そのふたりが何者であるのかは、ちょっとばかり勘と記憶力のいい人間ならすぐにわかってしまったことだろう。むしろその姿を視界に捉えた瞬間に、あれは、と驚愕を浮かべた者だって少なくない。それでも、自身の認識が事実であることを本人達、あるいは周囲に確認しようとする者がひとりもいないのは、ひとえに彼らのまとう雰囲気ゆえかもしれない。
 二人のうち特に目を引くのは、やはり自走用車椅子に座る男性だ。くせのあるブラウンの髪をした三十代半ばといったところの彼は、どこか金色の王様に重なる穏やかな雰囲気をまとい安心しきった様子でシートに身を預けている。そしてもうひとりの、肩胛骨のあたりまで伸ばした黒髪をなびかせる二十代半ばに差しかかろうかという女性がその後ろに立って、車椅子を押しながらそのハンドルを慎重に操っていた。
 と、男の青みがかった茶の瞳が女を振り仰ぎ、そのあまりの真剣さにくつくつと笑い出す。足を止めてむくれた様子で抗議する女は、慣れてないんだ、とでも言っているのだろうか。軽く手を上げて謝った男が、そのまま街並みを示して何事かを話し出せば、その言葉をひとつも聞き漏らすまいとするように女が身を乗り出して男の顔に耳を寄せ、さらりと括りもせずに遊ばせた黒髪が流れる。とても楽しそうでありながら、しかしわずかな哀愁を帯びる男の瞳は破壊の爪痕も生々しいこの街への愛を語り、その黒瞳を男の指の先に向けて相づちを打つ女の様子にもまた違う種類の熱心さが宿っていた。
 親子と判断するには少しも似ていないし歳が近すぎる、が、夫婦や恋人同士と呼ぶにはどうにも情熱よりも安穏さが漂っている。だからといって友人や知人、ましてや赤の他人とするには二人のあいだにある空気があまりにも濃密だ。そんな奇妙な様子を見せつけられれば、果たしてふたりはどんな関係なのかと邪推したくもなるだろう。
 しかし彼らを目にするグレースメリアの、エメリアの人々には、そんな気持ちはわき上がっても来ない。一般市民の知るふたりは大抵の場合は軍服、あるいはフライトスーツをまとって縁遠い“舞台”の上に立っていた。それに添えられるのは『救国の英雄』『解放の天使』などなど実に非現実的な単語ばかりであり、そして共に語られる名は、『ガルーダ』だ。
 その隊長、ガルーダ1・マリア“タリズマン”アッシュはこの戦争にて急成長を遂げた年若き才能であり、部下となるガルーダ2・マーカス“シャムロック”ランパートが年上のベテランとして陰に日向に、そして堅実に彼女を支えてきた。そのガルーダ2の目的はグレースメリアに残してきた家族との再会、しかしそれは叶わず悲嘆のまま単機にて敵国の超兵器に挑み自らを犠牲に勝利へと繋がる情報を引き出し、その相棒の意志を継いでガルーダ1が新たな夜明けをエメリアへもたらした……。そんな顛末も含めた、創作ではないかと疑われすらした彼らのエピソードは、国民にはむしろ耳あたりの良いものとして歓迎されたと言っても過言ではなく、戦後メディアにさらされたガルーダ隊の姿は多くの人々の記憶に残っていたのだ。
 とはいえ、どこか着慣れていないようにも見えた大仰な軍服ではなく、それぞれシンプルな私服に身を包む今のガルーダが、まったくのプライベートな時間を共に過ごしているのだろうことは想像に難くない。それに、表向きは平穏でありながら戦禍の影が未だ内外に色濃く残るこの国の体現であるかのような『英雄』の姿に、周囲は必要以上に、それこそ感傷と言ってよい度合いに感じ入る部分があるのだろう。まあ、多大な同情と多少の好奇も入っていたのかもしれないが、その作り物のような場面を邪魔しようという無粋な人間はなかなかいない。
 そしてもうひとつ、一部の見る者たちの瞳に好ましく映ったのは、タリズマンの様子だった。
 メディアにさらされたガルーダ隊といっても、シャムロックは負傷し入院していたためタリズマン単独のものが多かったわけだが、そこでの彼女の瞳に、そして表情に違和感を、あるいはぞっとするなにかを感じ取った者たちもいた。彼女が最果ての空でなにを目の当たりにしたのかなど知るよしもない彼らにとってそれは、多くを『救った』人間がそんな目をしてはいけないはずだ、という一種の押し付けがましい願いであったのだろう。こんな、石を削りだしたような無感情な黒い瞳をそのままにさらけ出すのがどんな種類の人間であるのかなど、判別がつかない。そんなモノがこの国の英雄であっていいのか? ……答えは、ここで彼女を目撃した者たちそれぞれの心中に、それぞれが納得しうる形で落ちてきたに違いない。願望に答えるのは願望でしかないのは、覆せない方程式なのだ。
 自分たちに集まる注目など気づきもしないのか、それともすでにそんなものには慣れてしまったのかは定かでないが、シャムロックの言葉にうなずいたタリズマンが身を起こし、また慎重に車椅子を押し始める。その目的地がどこであるのだろうかと見送る人々の視線の先で、ふたりはとあるビルの中へと消えていった。

§

「いや、まいったまいった。本気でまいっちまいましたよ、これは」
 ようやく衝撃から立ち直った“DJゼット”は、エメリア放送局内の休憩用スペースに置かれた長椅子に深々と座り天を仰ぐしかなかった。それから、目の前にいる訪問者たち……ガルーダの双翼にとてつもなく愉快そうな視線をやれば、車椅子のハンドルに両肘を預けたタリズマンが彼と同じような表情になり、さらにそこに得意さを織り交ぜて、
「ゼットが言ったんじゃないか。『ガルーダ隊には金色の王様勲章をあげちゃおう』って。忘れちゃった?」
「まあ、言ったし忘れてないけどさ、本当に取り立てに来るなんて夢にも思わないだろ。しかも本人達が直々にだなんて」
「いや、逆に本人でもなければ来ないんじゃないかな?」
「ははははっ、確かにそうか!」
 ぱしんと小気味のいい音を立てて額を叩いたゼットに、車椅子のシャムロックが苦笑する。それに陽気に笑ってから勢いをつけて身を起こし、座ってくれよ、とタリズマンに向かって自身の隣を指した。
 英雄だなんだともてはやされる相手にこんな態度を取っていると知れば局のお偉方やらが黙っていないだろうが、あいにくとこのアポイントメントのない訪問者のことを把握しているのはゼット自身と出迎えた受付係の人間くらいだ。業務再開されたとはいえ局内は慢性的人材不足であり、実務ポストのほとんどに自由エメリア放送の人員が横滑りした形の構成になっている。おかげで局内でのゼットへの信頼はとても篤く、同時にガルーダのことを英雄ではなく『共に戦い抜いた戦友』と捉えている空気が大半を支配している。もちろんゼット自身もそのひとりであり、そして彼らガルーダも自分達と近い気持ちであると確信しているからこそ、友人が仕事先にふらりと遊びに来てくれた、なんて扱いをしているのだ。
 じゃあ遠慮なく、とタリズマンがぽすんと椅子に座り、ついでにんーっと子どものように身を伸ばした。ゼットの目に映るその姿は、とてもではないがエストバキアの並み居る猛者達を軒並み叩き潰したエースどころか、戦争のためだけに作られた戦闘機を駆るパイロットにすら見えない。まさかこの子、影武者とか替え玉なんてことはないよな、なんて馬鹿げた考えがうっかり脳裏をかすめてしまった己にまた額を叩くゼットだったが、それを困っているからと判断したタリズマンはまたにんまりと笑う。
「大丈夫だって。今すぐよこせとか言わないよ、これで最後じゃないんだから」
「おいおい、それってもらえるまで何度も来るってことだろ? 余計にタチが悪い、本当に取り立てじゃないか」
 盛大にため息をついて愚痴ってみせるゼットだが、すぐにあごを上げて腕を組み、
「まあ、男は有言実行だ。このDJゼットの名にかけて、王様勲章、用意しちゃおうじゃないか」
「それは楽しみだ」
「つーか、おふたりさんこそ俺たちになにか労いでもないのかい? 我ら自由エメリア放送も、それなりにあの戦争に貢献したと思うんだけどねぇ」
 今度はあごを引いての大胆不敵な発言は、だからこそゼットらしい。ガルーダが、首都奪還を目指すエメリア全軍が何度も何度も励まされてきたその口調と言葉、彼らしさは戦争が終結してもまったく死んでいないのだ。
「うーん、考えたんだけど、どうしたらいいのかわかんなくって。勲章を贈り返すんじゃ芸がないし」
「だったら、これから俺の番組にゲスト出演なんてしてもらえると、こっちとしちゃ充分すぎるほどだけどな?」
「それは……無理なんだ。ごめん」
「ああ、わかってるって。ダメ元で言ってるんで気にするなよ」
 生真面目に頭を上げて謝るタリズマンにゼットは苦笑するしかない。このエースは見た目こそそうでなくても、自身の立場というものはちゃんと理解しているのだ。己の不用意な言動で国の一部が動いてもおかしくない、それほどの影響力を持ってしまっていることを。それは申し訳なさそうな顔をするシャムロックも同様なのだろう。
「じゃ、その代わりと言っちゃなんだが、ちょっと俺の雑談に付き合ってくれよ」
 あくまでここだけの話ってことにするからさ。そう続けたゼットに、だったら構わない、とタリズマンがうなずきシャムロックも肯定する。それを確かめてからゼットはゆるりと椅子に座り直し改めてふたりを交互に見て、
「あんたたちってそういう声をしてたんだな」
 いやにしみじみと、感じ入った様子のゼットに思わずタリズマンが噴き出す。
「なんだよ、だったらゼットの声はラジオのと変わらないなって私も思ったけど?」
「そう、それだ。俺の声はずっとあんたたちに聞こえてたはずだが、俺があんたたちの声を聞いたのは最後の最後……あのシャンデリアのときが初めてだったんだぜ?」
 『シャンデリア』。わずかのためらいのあとに紡がれた単語にシャムロックの表情が瞬間だけ、しかしはっきりと凍りつく、あの巨体が横たわっていた極北の海を今も覆う氷河のように。タリズマンもまた、ぴくりと眉を動かした。
 あの、実質上のエ・エ戦争最後の戦場をエメリアが制することができた主要因は、メリッサとマティルダのハーマン親子がもたらした機密情報に他ならない。が、それを北の果てへと送り届けたのは彼ら自由エメリア放送なのだ。あのとき、突如助力を求めて局に駆け込んできたハーマン親子の俄には信じがたい話を受け入れ、さらに軍用バンド帯に乱入するという荒技をやってのけ、結果として終幕の物語を一部だけでも傍聴するのを許されたからこそ、ゼットにはどうしても彼らに問うべきことがあった。真剣に、しかし決して拒否を許さない迫力もにじませてゼットは続ける。
「シャムロック、あんたはやめてしまうのか? もう、飛ばないのか?」
 妻子の死を知ったシャムロックが引退を仄めかしたことは、それなりに情報通なゼットの耳に噂のひとつとして届いていた。それが真実だと理解できていたとはいえ、いつもの彼ならばこんなにもストレートな物言いはしないだろう。自他共に認める洒落っ気溢れる軽妙なトークで多くのリスナーを、戦中においては敵国のエースパイロットさえも魅了してきた彼らしくないそれは、裏を返せば彼らガルーダの姿を見ることで生まれ育まれた“DJゼット”としてではなく、ひとりの、ガルーダに救われたエメリア市民としての言葉だったのかもしれない。
「…………」
 シャムロックは、すぐには答えなかった。柔らかな色合いの膝掛けがかかった腿に置いた両手が組まれ、小さく息が吐かれる。それを見つめているのは答えを待つゼットだけではない。タリズマンも、真っ直ぐに彼を見つめている。そのことはゼットにとっては意外にも感じられたし、やはりかと納得もできる光景だった。
 戦後に多くのメディアで目にしてきたタリズマンの姿は、ゼットにとっても、やはりどうにも違和感があるものだったと言っていい。彼がグレースメリアの空に見た鮮烈な軌跡の主、戦場を駆け抜けるつがいの鳥、比翼と例えられたガルーダの片割れにしてはどこか……言葉にし難かったのだが、とにかくその軌跡から想像されるものと虚像の彼女はどうやっても重なり合わない。それは渾名された金色の真逆、闇夜から生まれ出たような髪と瞳からの印象だけでは説明がつかなかった。彼女の瞳に宿る鈍い光があまりにも内罰的に見えたのには、相棒が空より墜ちたことも関連しているに違いない。
 そう考えるゼットは知るよしもないが、シャムロックの現在の立場は非常に微妙ではあった。現在もタリズマンと同じく軍属となってはいるものの、未だ遠出には車椅子を必要とし完治にはもうしばらくの時間がかかるとの診断が下されている。しかし、幸いと言っていいのかは誰にもわからないことだが、シャムロックの負傷は決して軽いものではないものの、本人の努力次第で再び空へと羽ばたくことは可能だと、軍医の保証はついていた。本格的なリハビリ後、その時点でパイロットして復帰するか他の部署に異動となるか、それとも退役するかの選択をすることになっているのだ。
 だが、彼はそこまですべてを先送りにするつもりは、なかった。第一、もし退役を決意しているのなら、ここに来ることもなかっただろう。
「……僕は、生きている」
 つぶやくように零れた自身の言葉に励まされ、シャムロックは顔を上げる。その視線の先にあるのはゼットではなく、地上へと戻ってきた彼に真っ先に同じ言葉を投げかけてくれた存在だ。
「そしてこの国も続いていく、僕たちが取り戻した未来を目指して。僕はモニカを、ジェシカを守ることはできなかったけれど……たくさんの皆の力を得て、必ず戻るという誓いは果たすことができた」
 そこで一旦言葉を切って、シャムロックはすいと右手を持ち上げる。目を下げて見つめたその掌にはなにもないが、しかし、彼には見えるような気がしていた。あのとき、助かることはないと考えるまでもなく明白な極北の海へと墜落する最中でキャノピーの向こうに舞っていた天使の羽根。薄れていく意識の中、穢れない迎えの輝きに魅せられるように手を伸ばし、そして救いの糸に縋るようにつかみ取ったままだったそれは、ゆっくりと解け始めている。
「だから僕は、また守ろうと思うんだ。この約束の地を、モニカとジェシカが生きていた街を、僕の家族が愛する世界を」
 役目を終えたかのように消えてゆく光の残滓。それを感じながら噛みしめるようにそう言って、シャムロックはまた顔を上げる。そのとき、自分がどんな光景を目にするのかを彼は予想していた、が、その想像がどのくらい当たっているかにはあまり自信がなかった。つまり願望に近いそれは正解を引き当てていたのか。それはもちろんシャムロック本人にしかわからないことだ。
「……そうか。また、あんたたちが飛ぶところを見られるんなら安心だ」
 ゆえにゼットはここでも、質問した本人でありながらも、静かに見つめ合うガルーダを傍でただただ見守るだけの傍観者でしかない。しかし、そこに生まれる絆の形を感じ取るくらいは観客にだって可能だったし、むしろそれが与えられた役目なのだろうと彼は弁えていて、
「じゃ、これでこっちへの分はチャラでいいぜ」
 肩をすくめ戯けた調子のそれに、はっとなったタリズマンが振り向く。彼女がそれでいいのかと言い出す前に、ゼットは続けた。
「ガルーダがガルーダであり続ける、その決意をこうして最初に、間近で確かめさせてもらえた。こんな栄誉、そうそうないもんだぜ?」

§

 生放送番組に向けた準備を始めなくてはならないというゼットに再会を約束し放送局を辞したのは、その小一時間後だったろうか。たどってきた道を戻り、まだ燦々とそそぐ光に金色の王様の笑顔も輝く駅前広場を過ぎ……ふたりは次の目的地を目指し急ぐこともなく進んでいた。
 やがてたどり着いたのは、グレースメリア市街地を一望する小高い丘陵地に設けられ景観を持ち味としている公園だった。グレースメリア城も近いここは、よく家族で散歩に訪れていたシャムロックにとっては思い出の多い場所でもある。
 人がまばらな展望台でタリズマンは歩みを止め、車いすのストッパーをしっかりと確認してからシャムロックの後ろを離れ隣に立つ。シャムロックはそれを見上げ、お疲れ様、と微笑んでぽんとハンドリムに触れた。
「大変だったろう? やっぱり僕も手伝うべきだったんじゃないか?」
「ううん、大丈夫だよ。私、こうしたかったんだから」
 ぎゅっと胸の前で手を握り、それをじっと見つめるタリズマンの瞳はどこまでも真摯であった。だが、そこについ先ほどまではなかった柔らかさが見て取れるのは気のせいではない。シャムロックはそう思い笑みを深くして、改めて心中でゼットに感謝する。部外者でありながらあの戦場を共有し得た彼だからこその言葉は大きな契機となり……つまりガルーダに与えられた彼からのなによりの報奨だったのだが、本人はきっと気がつきもしないのだろう。そんなことを思いつつ、シャムロックは目の前へと意識をやる。
 公園は、エストバキアによる要塞化の痕跡は見られるものの、爆撃だけは免れたのか大きな変化はない。だが、ここより見える街並みはすっかり変わってしまった。国の主要機能が集中する市街地は他に比べ急速に復興が進んでいるとはいえ、まだ街には深い傷が刻まれ、かろうじて傷口だけが隠されている。
 この風景がグレースメリアの人々の記憶にあるとおりに戻ることは、決してないだろう。この戦争では、二度と取り戻せないものが本当にたくさん失われてしまった。いや、世界で飽くことなく巻き起こるすべての闘争で同じことが起こっている。グレースメリアはまだ幸せなほうだ。こうして、再び人が営む場所として再生をしているのだから。
「なあ、シャムロック」
 かけられた声に傍らを振り仰ぐと、シャムロックに倣って街並みを眺めていたタリズマンがゆっくりと視線を落とす。そして見慣れた変わらぬ仕草……かくりと首を傾けて彼を見つめ、だが、続くと思われた言葉は出てこなかった。
 なにを言ったらいいのかわからないのか、それとも言うことなどないのか。普通ならば問われたほうがしびれを切らして怒り出してもおかしくないほどの沈黙は、しかし彼らの前にはなんの不和も産み出さなかった。いつもならば、彼女が言うべきことを探る手助けとしてかけられるシャムロックの言葉すらない。
「私は、さ」
 やがて、言うべきことが形になったのか、思い出したようにタリズマンがシャムロックと目を合わせたまま口を開いた。
「今の私はきっと、この『世界』が好きなんだ。シャムロックがいらないって言っても、それでも私は好きだって……そういう風になれた」
「ああ、知ってるよ」
 知っているからこそ、もう一度君と一緒に、君という家族が愛するこの世界を守りたいんだ。その部分は心に仕舞ったまま、シャムロックは静かにそう返してうなずく。そして、ふいと視線を街のほうへとやり、ちょっと一休みでもしようか、そんな風に言う代わりに続けた。
「せっかくだ。これから、いつか約束したチーズタルトを食べたいな」
「……え?」
「キッシュをご馳走するのはまだ先になるけど、それでいいのなら」
「先になるって、でも」
「僕が作るよ。ジェシカと一緒にモニカの手伝いをしたことが何度もあるんだ。レシピは頭に入ってるし、手順も見よう見まねでできると思う」
 確かにこのあとの予定は決めておらず、ひとまず今日の最後に、つい先日に退院して戻ったばかりの自宅までシャムロックを送っていく約束にはなっていた。だがあくまでそれだけで、それ以上のことなどタリズマンは期待していなかったし、むしろ必要以上に関わってはいけないと自身を戒めていたのだ。それは彼への甘えにすぎない、なにもかもをなくし一度は絶望した“相棒”が、こうして生きるべくして生きているだけでも、それを“相棒”として傍で支えてゆけるだけでも充分すぎることだ、と。
「そうだ、キッシュは一緒に作るのがいいかもしれないな」
 しかし、シャムロックはそう言って彼女に手を差し伸べているのだ。ガルーダとして共にある決意を聞かせてくれた、それだけでもこの上ない喜びで、でもそれをどう受け入れてどう自身の気持ちを表したらいいのかなんてわからないタリズマンにとって、それ以上を与えられるなど想像もつかないことだったのに、至極、あっさりと。
 あまりの衝撃に耐えきれなくなったように、タリズマンの膝が折れた。車椅子のかたわらにしゃがみ込み、シャムロックよりも低くなった目線でその瞳を見つめる。それは、出会ってからずっとずっと、彼らにとってもっとも当たり前であった交歓の形だ。そしてタリズマンは、手すりに置かれたシャムロックの腕に両手をそっと添える。
「いい、の?」
「君がよければ」
「私、料理下手だよ? お菓子なんて作ったことないよ?」
「誰だって最初はそうだ。でも、どんなに苦手なことでも練習して積み重なっていけばうまくなるさ」
 そうだろう、と問うようにシャムロックの手が腕に置かれた手の甲を軽く叩けば、そうだね、とまたかくりと首を傾げて微笑んで、
「なんだってうまくなるよね、きっと」
「ああ、何度でも繰り返せばいい」
 こくんと頷いたタリズマンに微笑み返してから、シャムロックは重ねていた手を膝へと戻しまた街へと目をやる。タリズマンも、ごしごしと目元を擦ってから立ち上がり同じように広がる世界を見やる。ひとつが始まり多くが終わったあの日のような青空の下、街の端から端までぐるりとつぶさに見渡して……最後に傍らにある存在へと振り返る。と、まったく同じタイミングでシャムロックもまた視線をやってふたりは見つめ合う格好になり、タリズマンがくくっと笑い出した。
「どうした?」
「ごめんごめん。なんだか、シャムロックをこうして見下ろすのって変だなって改めて思って」
「はは、そうだな。僕も君に背を預けっ放しなのは落ち着かなくてね。早く怪我を治していつもの役割に戻らないと」
「おうよ、早くしてくれよ?」
 そのあいだに流れる空気は多くの年月を重ねたものよりもすべてに馴染み、そしてシャムロックは、これから何度も何度も繰り返されるのだろう言葉を初めて口にして確かめる。
「じゃあ帰ろうか、僕たちの家に」
「うん。……帰る、んだね」
 だが、この言葉を必要としなくなる日まではきっと遠くないことだろう。そしてその先にはさらにたくさんの『なんでもない』が待っているに、違いない。

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