忍者ブログ
ゲーム寄りのよろず二次創作ブログ
16
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ACE COMBAT 6 SS
グレースメリア哨戒任務とシャンデリア攻落の合間
捏造を多分に含む


 その夜、正当なるあるじを取り戻したはずのグレースメリア空軍基地は混乱の極みにあると言ってもよかった。格納庫にも滑走路にも走り回る整備員たちの焦った、うっかりすると怒号になってしまいそうな声が飛び交い、急ピッチで出撃の準備が進められていく。終わったはずの戦争をまだ続けるために、望まぬ再演の舞台、アネアより更なる北、北極海上空という極寒の世界へとエメリアの鳥たちを送り出すために。
 グレースメリアが解放された……ガルーダ1“タリズマン”が最後まで抵抗を行った敵機体を撃墜したのは、ほんの十二時間ほど前だ。が、そのたった十二時間のあいだに事態には二転三転し、いまだに解放されないすべての人間の心身に異常な緊張と疲労を強いている。
 アネア大陸の最果てからたどり着いた者たちはもちろん、エストバキアの支配を堪え忍んできた民間人も皆がそろって、戦争はこれで終結すると、グレースメリアは解放されたのだと大いに沸き立った。とはいえ、エメリア国民誰しもが待ち望んだ苦難の時代終結の日であっても、地球にとってはなんでもないただの一日に過ぎない。いつものように太陽は地の彼方へと消え、それでもまだ騒ぎ足りない市民は喜びのままに夜空へと代わりの炎を、花火を打ち上げた。その自由が花咲く夜空での哨戒任務後、エメリア軍航空隊には約束通りに二週間の休暇が待っている、はずだった。
 しかし事態は急転する。排除されたはずのエストバキアの軍事的脅威は、再び遥か彼方の北より、文字通り『飛来』した。それは、かつてエメリアを苦しめたアイガイオンより射出されたニンバスとはまったく別種の巡航ミサイル……エストバキア連邦が保有する巨大固定レールガン砲台『シャンデリア』より発射されるコンテナ弾『スタウロス』。そしてスタウロスの内部にはグレースメリアを焦土に変えるのに充分な巡航ミサイルが搭載され、さらにそれらを迎撃するのに手一杯なエメリア軍の背後には、エストバキアの航空機が忍び寄って来ていたのだ。
 多くの航空隊が哨戒任務中だったのが不幸中の幸いとなり、また地上部隊の奮闘と民間人の協力もあって、エメリア軍は幾度も押し寄せるスタウロスと敵機の排除にはかろうじて成功した。が、これはあくまでも一時的な攻撃を凌いだのに過ぎない。砲撃はまたいつ再開されるとも知れないのだ。エメリア軍司令部はその発射位置の特定と分析に全力を挙げさせ、ほどなくそれがエストバキア北洋、北極海の氷の狭間に浮かぶソーン島付近であることが判明し同時にその正体が隕石迎撃システムの転用であることも自明となった。
 隕石迎撃システム―『シャンデリア』の砲身は、そもそもエメリアどころか大地に向けられていたものですらない。それはユージア大陸に築かれたストーンヘンジなどと同様に、ユリシーズ迎撃を目的に開発されたものなのだから。しかしその開発中に砲身の肥大化やそれに伴う機構の複雑化など多くの問題が浮上、さらに周辺国から軍事転用を恐れる声が上がったこともあり、シャンデリアを未完成としたままエストバキアはユリシーズ落下の日を迎えることとなってしまった。その後の混迷の末、こうして危惧したままの運用が行われ、その標的の先にエメリアがあるのは皮肉とも言えよう。
 ともかく、その結果を受け司令部は即時にシャンデリア攻落作戦を立案し全軍に令達、今に至る。そしてこの作戦においても中核をなすのは、当然ながら首都解放最後の任を果たした『英雄』ガルーダ隊だった。
 シャンデリア自体は超巨大な固定砲台であり航空攻撃には対抗のしようもないと推測されるが、無論、この作戦がそんなに簡単なものであるはずがない。果たしてどのような対空設備や戦力配備がその周囲に整えられているのかはまったくの未知数、さらにシャンデリアの技術開示は計画が頓挫して以降行われておらず、こちらも不透明な部分が多い。生半可な攻撃で破壊できるのか、また現在グレースメリアへの砲撃が止んでいるのはいかなる理由なのか……言い出せば不安要素しかない作戦であるからこそ、首都解放までの道のりで多くの困難な作戦を成功に導き続けてきたガルーダへ寄せられる期待は大きい。
 そのガルーダの一翼を担うタリズマンは、スタウロス迎撃時に受けたダメージへの対処や装備の調整が続けられている、格納庫に収められた自機の様子を片隅から一人でじっと見つめていた。哨戒任務時に袖を通したパイロットスーツのまま、本来は座るためのものではない工具の詰まった小さめの木箱に腰を下ろし組んだ両の手に顎を預けるその姿は、普段の彼女を知る者からすればかなり異質に映ることだろう。特にその表情……無、あるいは虚、と言うべきそれは、感情豊かな彼女にはあまりに似合わない。
 その表情に気がつく整備員たちも、その場には数人ながらいた。しかし彼らの多くは、それが恐らくこれから行われる作戦への緊張やこの期に及んでも無益な争いを続けようというエストバキアへの憤りからもたらされているのだと解釈し、むしろその集中を妨げまいと務め、その分、彼女が乗り込む機体をより完璧に仕上げることに意識を向けていた。さらに言うのならば、今の、普段のエメリアきってのエースとは思えないほどの親しみやすさとはかけ離れた雰囲気を醸し出す彼女にわざわざ理由を問えるほどの度胸や無謀さなど、彼らは持ち合わせていない。
「タリズマン! やっぱりここだったのね」
 だから、そう声を上げながら歩み寄ってきた人影に、整備員たちから安堵のため息が漏れたのも無理からぬことだったのかもしれない。
「……ああ、ラナーか」
 空疎な表情を不思議そうな色があるものに変え、タリズマンは顔を上げる。その視界に入ってきたのは、声の主であるラナーと背後に控えた男の姿だ。エメリア空軍第8航空団章を縫い付けた、使い込まれたツナギに身を包んだその姿はこの格納庫に相応しいものであったが、タリズマンの瞳はみるみる驚愕の色に染め上げられバッと立ち上がる。衝撃のあまり言葉にならず口をぱくぱくさせる彼女にふっとラナーが微笑み、男は得意げに片手を上げた。
「よう、ガルーダの。久しぶりだな」
「あ、あんた……生きてたんだ!?」
 まぁなと肩をすくめた男に、あ、と整備員からも声が上がる。タリズマンと同じく『生きていたのか』という反応と思えるそれに彼は気まずそうにガシガシと頭をかいて、
「まあ、上手いことトンズラこいていた、つーのは建前でな、あの日にお前さんを送り出したあと、建物ごと爆撃食らって動けなくなって、助けられたはいいが軍は撤退するってんでそのまま民間側の医療施設に放り込まれてたんだ」
 そう、彼はあの日―エストバキアがグレースメリアに侵攻してきた際に、その狼煙となったF-4による攻撃をタリズマンと共に目撃した整備員だった。同時にタリズマンにとって彼は、当時はまだ取るに足らない未熟な飛行隊と言ってもよかったガルーダ隊の整備担当であり、ゴーストアイから説教を食らう度にさり気なくフォローしてくれたり、休日でも基地で自己鍛錬に励む姿をからかってきたりと、公私共に、と言うには大げさだが単純な同僚よりも濃い関係を築いていた相手だ。そんな彼があの攻撃から生き延びていて、こうして再会できたという事実にタリズマンは微かに笑みを浮かべて男を見上げる。
「そっか、そっかぁ。とにかく……生きててよかった」
「おう、ありがとよ。こっちはまあ、お前さんの活躍はあれこれ聞いてたからな」
「ああ、ゼットのラジオで」
「そうだ。驚いたぜ? あの、少佐殿を困らせてばっかだったお前さんがエメリアを救うエース様だってんだからな。センスが良いことはわかってたが、まさかそれほどまでだったとはなぁ。ったく、こいつは一生の自慢だ! この俺がルーキー時代のガルーダ1を支えてたんだってな!」
 戦争はまだ終わっていない。これからエメリア軍の全航空隊はこの“ガルーダ1”を先頭にして、遥か北の氷の海よりこの街を狙う桁違いの超兵器、シャンデリアを落としに向かうのだ。今度こそ最後になるはずの、そして間違いなくこれまで以上に困難を極めるだろう作戦に臨むタリズマン、そしてラナーの緊張をほぐそうというのか、男はわざと冗談めかして明るく言う。
 だが、男の見当は外れていた。タリズマンの表情がはっきりと曇ったのは、そしてそれに気がついたラナーが彼女を気遣うような視線を送ったのは、まったく違う理由によるものなのだ。
「なあ、ガルーダの」
 もちろん男に彼女たちの事情がわかるはずもない。だから彼は、今度はうって変わって真面目な表情になって、
「お前さんはここまで本当によくがんばったんだな。それこそ、第8航空団きっての問題児がエースなんて呼ばれちまうくらいに。昼間だって、あの化け物みたいな機体を真っ向から墜としたのはお前さんだったんだろ? さっきの騒ぎでも、砲撃に隠れて来やがったエストバキア野郎をガルーダでほとんど叩き潰したって聞いた」
「…………」
 タリズマンは答えることなく、曇った表情のままうつむいてしまう。それに、ラナーが物言いたげに口を開きかけるがグッと堪えて、いや、ある意味では堪えきれなくなったように目をそらした。が、男はタリズマンから目を離さない。こうして語りかけることしか自分にはできないと、嫌ほどわかっているがゆえに。
「その上で、まだがんばってもらわなくちゃならないんだな。やっとのことでグレースメリアまで帰ってきたお前さんをまた命がけの場所へ送り出さなきゃならん。俺は、『お疲れさん』って言ってやろうって、ずっとお前さんを待ってたってのにな」
「え……!」
 がばっと顔を上げたタリズマンが愕然と男を見る。心底から衝撃を受けた、そんな様子でわなわなと全身を震わせる彼女に男が何事かといぶかしげに首を傾げると、タリズマンは一言一言を噛みしめるように、
「待ってて、くれた? 私なんか、を?」
「おい、なんかって随分な言い方だな。もちろん待ってたさ。確かに、お互いただの他人かもしれんが、お前さんの命を預かってたプライドってもんは俺にもあるんだぞ」
 タリズマンの言い様に男がムッとした顔になったのは、自身の矜持と彼女への疑念が半々だったのだろう。彼はその半生を空軍基地で過ごしてきた身だ。空へと飛び立ってゆくパイロットが命を託す機体、それを整備する人間として、世代も理念も、それらを構成しうる見つめてきた時代がユリシーズという境界線によって隔たれたものであったとしても、親子ほども年の離れた身に宿る信念を預かってきた自負が彼にはあるのだ。
 しかし、タリズマンはそうではなかったのか。彼女にとって整備員などそこにあるだけの存在でしかなかったのか、と憤りを覚えた彼の目の前で、かくん、とタリズマンの体が沈み込む。
「お、おいっ!? どうしたんだ?」
 突然、膝を抱えるようにその場にへたり込んだタリズマンの小柄な背に、男はとっさに手を伸ばした。……この戦闘機乗りとしては小さい、体力もあまり豊富とは言えないだろう体で必死に担ってきたのだろう『エース』という立場、そしてまだ達観すら許容できない年若い心にも容赦なくのし掛かる重責は、どんな自負があろうとも自分には決して理解できないのだとも彼はわかっている。だというのにまるで責めるような言い方をしてしまったのではと後悔し、同じように屈み込んでその背に、平和だったあの頃によくしていたようにポンと軽く触れた。そして顔を覗き込もうとしたが、ちょうど膝に顔を埋めるようにしている彼女の表情は知れず、どうしたものかと動きを止めるしかない彼の隣にいつのまにか歩み寄っていたラナーがゆっくりと膝を折った。
「タリズマン」
 空での凛々しい、時には大の男を上回る迫力を伴う声とはまったく違う穏やかなトーン。しかしそれだけではない隠しきれない痛みと哀しみに揺れる呼びかけのあと、ラナーの手がそっとタリズマンの頭に乗せられた。反応した彼女の肩がぴくりと揺れて、
「そっか。待ってて、くれたんだ。私を」
 ぽつりと、なんとかラナーの耳にのみ届いたそれに答えるように、乗せられた手が流れる黒髪をゆっくりとなぞるように動いていき、やがてその終着、膝に置かれたタリズマンの手にたどり着く。しかし、冷え切った氷のように冷たくなっているタリズマンの手は傍にまで降りてきてくれた温もりを拒否するかのようにぐっと握りしめられ……そして力を入れすぎたのか、大きく震えた。
「わた、私、なんかにも、待っててくれる人が、いたのに、会えたのに、なんで? どうしてだよっ!」
 血を吐くような自身の声の向こう、タリズマン自身の耳に蘇ってくるのは、相棒が発した、呪詛。

《エストバキアの目的は一体なんだ!? これ以上殺し合って、どうなるというんだ!》

ほんの少し前まで華やかな色彩に満ちあふれていた空に醜く飛び散る、爆破の火花。それに浮かび上がるのは、近代的な光を誇らしげにまとうビル群ではなく、敵機の黒影。ガルーダが、街を護るためのミサイル迎撃を他の皆に任せてエストバキアの戦闘機を追い落とす役目を引き受けたのは、タリズマンの意志ではない。ガルーダ2、彼女の片翼が“それ”を望んだからだ。
《地獄へは貴様らだけで行けっ!!》
 シャムロックが、自身の内より噴き上げる呪いと憤怒のままに振り上げた拳。それが振り下ろされる先は、この場に存在する憎しみの顕現であるかのようなエストバキアの戦闘機。ああ、これはなんだ? いいや、わかっている、これは終わりのない円環、怨嗟の輪廻そのものだ、とタリズマンは臓腑を絞られるような悪寒に襲われた。ここにはもう戦場ですらない、互いを喰い合い自滅していくここそこが地獄でしかない。

《さっき、妻と娘の死亡が確認された》
《僕は国を守り、家族を失った……》
《モニカ……ジェシカ……! クソ……クソ、クソッ!》
《……この任務が終わったら、僕は退役する》
《さっき決めたんだ。僕にはもう、飛ぶ理由がない》

 その円環を巡る怨嗟は、自らを沈めようとしていた絶望からシャムロックを引きずり上げた。襲い来るエストバキアの脅威を目の前にして、彼は再び操縦桿を握ることを肯定する己を許す。タリズマンもまた、シャムロックの口から伝えられた事実、そう、信じがたい理不尽なまでの喪失を受け止めきれないまま、しかし染みついた、もはや本能となってしまったのではないかと思える反射で、ただひたすらに彼女の分身とも言えるイーグルを操った。
 しかし、その心に渦巻くのはただひとつの懇願、のみ。
 やめて、もうやめて。頼むから、もう、やめてくれ。
 それが誰に向かってのものなのか……もはや建前を掲げることすら放棄しエメリアを滅ぼすためだけに攻撃を仕掛けるエストバキアに向けてなのか、それとも、その力をグレースメリアを護るためではなく破滅に向けて振るう相棒へ向けてのものなのか、彼女自身にもわからない。ただ一刻も早くこの闇から抜け出したかった。が、そのために彼女ができたのは、彼と共に敵をひたすらに排除することだけ、だったのだ。
 しかし、そうして戻ってきた大地には光などなく、彼女たちを暖かく迎えてくれる存在など、ない。


 操縦桿を握りしめたまま、シャムロックは目を閉じて微動だにしなかった。着陸はもうとっくに終えキャノピーも解放済みだ、外では彼が降りてくるのを整備員たちが待ち構えていることだろう。先ほど俄に巻き起こった激しい戦闘で、彼の機体は少なくない損傷を受けているのだから。
 それが、自身の無茶な飛行の結果であるとシャムロックは自覚していた。だが、あの時点で自身の感情や行為を制御することなど彼には無理な注文だった。それがある種の自暴自棄だと言われれば否定はできない。だからこそ、ここでこうして操縦桿を握ることで、もう一度羽を広げる決意した現実を自身に危ういところで繋ぎ止めているのだ。
「……くそっ」
 小声で漏らした悪態は、これを一度でも手放せば自分がどうなってしまうのか、もしかして狂ってしまうのではないかなどと怯える自分自身へのものだ。いや、もうすでに狂ってしまっているのかもしれない。生きる支えとしてきた彼の存在意義―大切な家族、妻も娘もとうの昔に、彼が必ず戻ると空で唱えたときには、この世界から消えていた。つまりここに残されたマーカス・ランパートという固体はただの抜け殻に過ぎず、残されたのが“シャムロック”―鋼鉄の翼を駆り立ち塞がる者を狩るだけの、言ってみれば戦闘機の一部に過ぎない『モノ』なのだから。それが本体から引き離されたら、もう、死ぬしかないじゃないか。
《タリズマン。天使が羽をたたむのは、ラストダンスを終えてからだよな?》
 ほんの少し前、勢い込んで告げた自身の台詞に乾いた笑いが漏れる。羽をたたむなんて、よく言えたものだ。この砲撃を仕掛けてきたエストバキアを、彼の世界を壊し抜け殻にした連中を亡霊のように立ち上がりまとめて地獄に叩き落としてやったあと、静かに羽をたたんで地に還るなんて都合のいい話があるものか。その時は、きっと……。
「シャムロック!」
 突然、思考を遮った声にシャムロックは驚いて顔を上げる。機体にかけられた梯子からコックピット内のシャムロックへと身を乗り出しているのは紛れもない彼の相棒だ。だがシャムロックには彼女がここにいることが何故か不思議でたまらなくて―単純な話、いつまでも降りてこない彼を心配して来たのだと簡単に推測できるはずなのに―その姿をただ不審げに眺める。
 そんな彼をどう思ったのか、一瞬だけ顔を苦しげに歪めたタリズマンが必死にその身を伸ばした。強引にコックピットに上半身をねじ込み、シャムロックの装備品に手をかけて無理矢理に引きはがす。マスクは外していたのでそれで露わになったシャムロックの顔をじっと見つめ、数秒。彼女が唇を噛みしめ、がくりと首が落ちた。
「ご、めん」
「え?」
 絞り出すようなそれの意味が、シャムロックには本気で理解できなかった。いや、謝罪を示す言葉だということはわかるのだが、彼女がこの場で口にした理由が皆目見当もつかない。むしろ謝るのは自分ではないか、いつまでもここに留まっていては誰にとっても迷惑にしかならないのだから。
「ごめんなさいシャムロック。本当に、ごめん……ごめんなさい」
 それでも彼女の謝罪は続く。かくりかくりと首が上下に揺れているのは、いつものクセではなく頭を下げているつもりなのだろうか。おかしな体勢になっているせいで彼女の黒髪がさらさらと揺れ照明を鈍く反射するのが妙に強調されているだけのそれに、シャムロックはただ素直な疑問を口にすることしかできない。
「どうして君が謝るんだ?」
「…………」
「なんに対して謝っているんだ?」
 それで、壊れた蓄音機のように際限なく続くように思われた謝罪は止まった。だが顔は上げないまま、しばらく沈黙が続き……ゆっくり動き出したタリズマンの手が操縦桿に向かって伸ばされていく、それを手放そうとしないシャムロックの腕に腕を重ねるかのように。
「! ま、て、タリズマン……っ」
 その意図が唐突に読めてシャムロックは焦った声を上げた。だが彼を操縦席へと縛り付ける―それを望んだのは彼自身だ―シートベルトが、タリズマンの行為を阻むことを許さない。だから彼女がその目的を果たすのはそれほど難しいことではなかった。
 シャムロックの手に手が重なり、そして、タリズマンがそれを意図しているのかはわからないが、縫い止められた操縦桿から剥がして彼女の元へと引き寄せる。もう片方の手も合わせてようやく包み込めるだけの差があるシャムロックの大きな手を見つめたタリズマンの瞳から、そこで初めて涙が溢れた。ぽろぽろと途切れることない雫と共に、彼女の唇からもぽろりぽろりとこぼれ落ちてゆく。
「私の、せいなんだ。私なんか守ったせいで、シャムロックの手から、この手から……本当に大切な物が、こぼれ落ちて、しまったから」
「え……」
「でも私には、なにもない。なにもなくて、ごめん。なにもできなくて、ごめん。どうしたらいいのか、わからなくて、ごめん。ごめんなさい、シャムロック!」
 しゃくり上げて言葉を失うことだけは必死に堪えているのだろう歪んだ表情を隠そうともせず、彼女はその声を涙に震わせて告げてから力なくその場でうなだれた。その場……コックピットには不釣り合いにも見える、ただでさえ小柄な体がさらに一回り小さくなってしまったように見える弱々しい姿は、もはやシャムロックはどこか遠い、隔たる世界のなにかであるように見えた。でも、それでも彼女にはきちんとわかってもらいたい、だからわかり合えなくとも伝えなくてはなるまいとシャムロックは口を開く。
「謝る必要なんてない。君のせいであるはずがないんだから」
「でも……」
「タリズマン。これは僕の咎だ。国を救ったエースパイロットが身内すら守れなかった。僕はモニカにもジェシカにも、なにもしてやれなかったんだ」
 それにタリズマンの首がふるふると横に振られる。それでもなお自分のせいだと言いたいのか、それともシャムロックの言葉を否定したいのか。どちらでも構いはしないと彼はため息を吐き、そして彼女の手を振り払った。
「あ……」
 離れてしまった温もりにタリズマンが顔を上げ、手は必死にそれを追いかけようとする、が、それよりも先にシャムロックの手が彼女の肩を掴み、グッと力を込めてその身を起こして正面を向かせる。そしていまだに戸惑いと己への憤りを宿している彼女の瞳を見つめ、
「タリズマン。まだ戦争は終わっていない。わかるな?」
「……うん」
「言っただろう? この戦争は僕たちの手で終わらせる。僕はその言葉までは嘘にしないつもりだ。だから、こんなときに言うのは卑怯とわかっているけれど、君に願うよ。嘘にしないでくれ、と。なにもできないなんてことはないはずだ、と」
 タリズマンの答えはないが、それでも彼女はただの一瞬も視線をそらさずに語るシャムロックの瞳を見つめ続ける。その、涙に濡れる空漠たる漆黒は、すべてを受け入れるたおやかな夜闇であるのか、なにものも貪欲に取り込んでゆく深淵であるのか。どのどちらでもあることをもはや知っているシャムロックは、あとはそこに投げ込むものもなく、ただ静かに見つめ返すだけだ。
「…………」
 その黒に意志が浮かび上がるのに、それほど時間はかからなかった。グッと瞳を閉じながら大きく息を吸い込んで顎を引いて、再び開かれたとき。そこに在るのは隊長としてでも軍人としてでも、“ガルーダ1”としてでもない、シャムロックの相棒としての“タリズマン”だ。
「わかった」
「ああ、ありがとう」
 とても彼女らしいシンプルな、しかし一点の濁りもない真っ直ぐな返答にシャムロックはふっと表情を緩めて礼を言った。言われたタリズマンはふいと目をそらして眉根を寄せたが、それ以上言葉を重ねられるのを避けるようにすぐに身を翻して梯子を下り始める。
「わかったから、さっさと来い! すぐにデブリーフィングと、さっきの砲撃についての説明があるはず!」
「ああ、そうだな。すぐに行くよ」
 言いながらシャムロックがシートベルトを外してコックピットから身を起こしたときには、すでに地を歩くタリズマンの背中は機体から随分と離れてしまっていた。自身の行いを振り返れば、いつものように一緒にブリーフィングルームに行こうと待っていてくれるなど、ましてや当たり前に隣に立ってくれることを願うなど甘えに過ぎないと彼もわかっている。
 だが、これでいいのだ。いまや自分の手は、すべてを奪った者たちを、舞台となったこの戦争ごと裁きを下し永久に消し去るためにあるのだから。それにあの『天使』を、エメリアを救うだろう英雄を、エメリアの勝利と未来の象徴を巻き込むわけにはいかない。
「……すまない、タリズマン」
 その想いと共に、キャノピーに手をかけ小さく呟かれた謝罪は、いつしか再びこの街に充ち満ちていた戦場の喧噪にかき消されていくだけだった。


PR
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Copyright c イ ク ヨ ギ All Rights Reserved
Powered by ニンジャブログ  Designed by ピンキー・ローン・ピッグ
忍者ブログ[PR]