「嘘吐きは泥棒の始まり、や」
突然そう言われ、玲子は訝しげな顔で後ろを振り返る。
「何のことです?」
「ねーちゃんことやで、他におれへんやん」
「私が嘘を?」
心外だ、そんな響きを含む玲子の声が、封印の間のある神殿に反響する。それほど、ここは静かだった。しかし、ここから扉によって繋がっている世界ので、激しい戦闘が嘘であるような静けさの中にあるのは、決して穏やかな雰囲気ではありえない。悪魔は出なくても、ここは魔神皇に最も近い場所なのだから。
自分をじっと見る玲子に、問われた青年 ― 霧絃はあいも変わらず感情を読ませない表情を浮かべていた。とりあえず今は、さも面白そうなものになってはいるがそれが本当かなどわかるわけがない。そして質問には答える気がないらしい、そう判断して玲子は自分から口を開く。
「では仮定の話をしましょう」
霧絃が組んでいた腕をほどいた。それを無視して玲子は続ける。
「私が嘘をついて霧絃先輩を騙している。それを認めたとしましょう。……どうされます?」
「脅かす」
「……即答ですか。穏やかでないですね」
しかも、表情が変わっていない。それに玲子の警戒心が反応する。数個の魔界をクリアしているうちに学んだ。この青年は、外面と内面を完全に区別できる、いや、区別してしまうタイプだ、と。
何故わかったのかは簡単だ。玲子も同じようにして生きているから。同類という奴だ。
「脅すとは? 本当のことを言えと、どうやって脅すのです?」
「そんなん単純明快。こっち男やし」
霧絃の動きがあまりに意外で、玲子は何も出来なかった。それに元々、身体能力は霧絃が断然上なのだ。解かれていた腕に、ぐいっと肩を引かれて目を見開く。
「な、ちょっ……!」
そのまま軽々と抱き寄せられる形になって、玲子は期せずして霧絃に身体を預けてしまった。身長差がある分、ちょうど霧絃の肩口に額が当たる。間近に感じる熱があって、それが移るように玲子の顔も赤くなった。これを誰かに見られたら、間違いなく誤解されるだろう。
「どういうつもりですか!?」
「ほらな、ビックリやろ?」
「……っ」
玲子の反応が予想通りだったからなのだろう、ご満悦に言われても、そのせいで更に動揺した玲子は何も言い返せずに固まっている。それをいいことに、霧絃は玲子の髪まで撫でつつ、
「ねーちゃんも女の子やかんな。抱き心地ええな~。役得役得♪」
「そ、その発言はセクハラとみなしてよろしいですか? もしくは女性差別でしょうか」
「ううっ、それちょい厳しすぎやでコメント」
かくん、と大げさに首を傾げるようにして悲しさを表現する霧絃に、玲子は口数を増やすことでごまかせる分の動揺は隠そうとして、更に言う。
「それから、脅かすと驚かすでは、言葉の響きは似ていても内容は大分違うと思いますけど?」
「そりゃそうや、脅すんはこれからやもん」
声は、それまでの斜め上からではなく真横から聞こえた。霧絃が、玲子の肩に頭を乗せるようにして、さりげなくその動きを牽制している。
「赤根沢」
玲子の名字を呼ぶ、先ほどまでのものとは音域が違う声。
耳元で響く、男性特有の低音の声。
「やるんやったら徹頭徹尾、騙し通せ。こないなとこで気づかれる嘘なんざ、つかんほうが身のためや」
その次までの合間の、ほんの刹那。玲子の背中を包むその腕が、霧絃に触れているその肩が、緊張したように感じたのはお互いの気のせいだったのか。
「つまり?」
「俺を使うつもりやったら、最初から全部言うんが次善の策。それやったら文句はつけへん。俺は今ん事態が収まりゃ狭間なんざどうでもええし、他人にケチつけへんタチやねんから」
「それは無理です。天地神明に誓って、私は騙さず本当のことを言っているのですから。すでに最善の策を取っています」
「はん。最善、と言わはりますか。はいはい」
最後の部分で声の高さが変わった。同時に、ぽんっと一回だけ背中を軽く叩いて霧絃が玲子を解放する。知らないうちに息を吐いた玲子に、一歩引いた位置で霧絃は一瞬だけ意外そうに眉根を寄せた。それはまるで、痛みをこらえているようにも見えて、が、すぐにまた面白げな表情へとすり替わる。
「やっぱねーちゃん、泥棒さんやわ。……ちゃうな、"神"を恐れぬ魔女さん、や」
「魔女につきものなのは、ほうきに帽子、黒猫に使い魔ですね」
「俺、使い魔かい。って、悪魔使えるんは俺やから、黒猫?」
「さあ、どうでしょうね」
空とぼけた、しかし楽しそうな言い様にぼやいて見せた霧絃に、玲子は優美に微笑み、すいっと片手をかざした。
「じゃれるのが好きな可愛い猫ちゃんに、呪いでもかけてあげましょうか?」
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